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「わからない」という方法 橋本治


最終更新: Mon Sep 12 15:30:03 2011


 ここは、川俣から見てお勧め(カモ知れない)本を紹介するコーナーです。


どんな本なのか

 常識的に考えれば「分からない」という状況は「恥ずかしい」ことです。しかし,本書では,「分からない」という状況は恥ずかしいことではなく,当たり前のことであると言います。そして,「分からない」ということが一つの「方法」として成立すると言います。つまり,この本は,著者流のモノの考え方を解説した一種の実用書と言えます。

 人間にとって「分からない」というのは,極めて当たり前の状況であると言えます。そして,人間が「分かった」という状況に達したときに,「分からない」から「分かった」への経路が「分かる」というプロセスと言えます。しかし,多くの人間は一度「分かった」に到達すると,別の分からないことを解決するために,「分からない」を出発点にせず,「分かる」を出発点にしてしまうと言います。「分かる」の周囲はすべて「分からない」なので,そこからはもうどこにも行くことができない。つまり,何か知らないことをしようとするときに,「分かる」を出発点にすると必ず失敗する。「分からない」を出発点にすれば良い。とまあ,ある意味で至極当たり前な話が主張されている本です。しかし,あえてこの本が書かれねばならなかった理由は,この「至極当たり前のこと」を実践していない人があまりに多いためでしょう。

 では,どうして「至極当たり前のこと」が多くに人に受け入れられていないのか。その理由は,20世紀が「唯一の正解」という幻想にとらわれた世紀であったため,と筆者は言います。どこかに「唯一の正解」と言うモノがあり,それを学び取り実践すれば,すべての問題は解決される,と言うのが20世紀的な思想だと言います。たとえば,社会主義などがこれに該当するわけです。しかし,社会主義国家が崩壊したのを見ても明らかな通り,「唯一の正解」などという便利なものは,もともとこの世にあるわけがない空想上の存在に過ぎないわけです。しかし,その空想を信じた多くの20世紀人は,「分からない」という状況を当たり前と考えず,「唯一の正解」を知らない恥ずかしい状況だと思い込んでいただけ,と言えます。

なぜイイのか

 私は橋本治さんという人を知りません。どんな本を書いてきた人かも知りません。しかし,この本に書いてあることが至極まっとうですので,頭の中身がしっかりした人なのは間違いないでしょう。

 この本で述べらていることは,実は私の主張と良く似ています。まあ,厳密に言えば私のオリジナルの主張ってわけでもありませんが。私の主張は,20世紀は19世紀科学的な絶対主義に囚われた世紀であった,ということですが,「19世紀的な絶対主義」と「唯一の正解」は同じことだと考えて良いと思います。ちなみに,20世紀的な科学とは,「分からない」ことを科学的に論証した体系と言っても良いわけです。つまり,20世紀の知の体系の上に立ってものを考えるなら,「唯一の正解」などという極めていかがわしいものは有り得ないと考えるのが科学的な態度です。

 とはいえ,このような私の考え方に対する賛同者は多くないのが現状です。その意味で,どうやら別の出発点から同じ結論に達したらしい人がこの世界に居るというのは,嬉しいものです。

読んで欲しい人

 「分からない」ことが恥ずかしいと思っている人,全員。

 ただし,この本が「唯一の正解」を教えてくれることは有り得ない,という点には留意すること。この本は「唯一の正解なんか存在しない」という主張の込められた本です。でも,「唯一の正解」は無くても,とても役に立つ本です。


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作成:川俣 晶
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