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物欲博物館 自作サーバPC KORON(2代目)


2000年4月16日撮影

最終更新: Mon Sep 12 15:30:06 2011


 ここは、自作サーバPC KORON(2代目)の思い出を記すページです。


記録

経緯

 名称としてのKORONの歴史から語ろう。この歴史は、社内LAN導入の次点まで遡る。株式会社ピーデー東京分室に最初に導入されたLANは、CONTECの独自LANシステムである。機能的にはPeer to Peerの簡易LANである。リセラーが、PC-9801だけでなくAT互換機でも使えますと称したので試験的に使ったが、それはまったくの大嘘であり、PC-9801でしか使用できなかった。AT互換機でも使えるというのは、Netware使用時にCONTEC製のNICが使えるという話でしかなかった。そこで、当時登場したばかりのNetware Liteを導入したが、これは事実上Windowsと併用すると制限事項ばかり出来てしまう事実上のDOS専用品であった。また、本家Netwareも、その当時は、Windowsがバージョンアップするごとに、それに対応するドライバがないと大騒ぎになるものだった。そのため、NetwareはWindowsユーザーのニーズに応えられないと判断して、候補から外した。そのかわりに、大枚を叩いて購入したのは、MSKK社員時代に実際に使用して稼働することが分かっていて安心な、LAN Managerであった。具体的にはマルチベンダー版 LAN Manager 2.1である。当時はNetwareを買わずにLAN Managerなどを買うのは馬鹿げた行為だと言われたが、特に重大な問題もなく、また、素直にNTベースのシステムに移行できたので、成功した選択だったと考える。

 これら一連の試みの中で、各マシンに対するLAN上の識別名に対するネーミングルールも固まっていった。初期のマシン名は、基本的には、高橋留美子のコミック『らんま1/2』のキャラクター名から取られていた。代表的な名前としては、ヒロインから取ったAKANEという名前がある。この名前は、現在も社内LANのメインサーバの名前として使用されている由緒ある名前である。KORONは、この一連のネーミングルールからもたらされたものである。ヒロインのライバルであるシャンプーの祖母の名前から取った。もちろん、現在はしわくちゃの婆さんだが、若い頃は美人だったという意味が隠されている。

 初代KORONは、秋葉原のショップであるコムサテライトの作成した486DX 50MHzのEISAバスマシンである。DX2の50MHzマシンは珍しくないが、DXの50MHzマシンは珍しい。これは、内部クロックも外部クロックも50MHzのCPUであり、Pentium登場までは最高の転送能力を持つCPUだったと言って良いだろう。SCSIホストアダプタにはUltraStore24Fというカードが使用されていた。

 しかしながら、部品や構成が特殊であり、使いやすいものではなかった。そのため、486DX2/66時代に、初代KORONが担っていた役割を継承するマシンを、あり合わせパーツで組んだ。これが、2代目のKORONである(と思う。経緯に関する記憶は既に薄れつつある)。2代目のKORONは、486DX2オーバードライブプロセッサ(66MHz)を使い、知人から買った怪しげなVLバスマザーボード、AHA-1542CF、16MBのメモリなどで構成されていた。ケースは初代Qualestマシンのミニタワーモデルに使われていたものを単体で購入したものを使っている。ちなみに、現在の感覚で言うと、ミニタワーよりミドルタワーに近い。

 その後、2代目KORONは、最前線を退き、テストマシンという役割に任務変更した。ハードディスクをリムーバブルケースにより交換可能としたことで、各種OSを個別のリムーバブルHDDにインストールして、いろいろなOSを交換しながら試用できるようにしたものだ。この事実が、Internet時代への突入に大きな意味を持つ。

 株式会社ピーデー初のInternetサーバ機は、1996年頃、COMPAQのPCにWindows NT 3.51をインストールし、旭川のさるISPに設置された。しかしながら、ISPの運営が十分納得の行く水準ではなく、また、当時はWindows NTベースでは、十分なサーバソフトも揃っておらず、トドメの一発して、事実上リモートメンテナンスができなかった。イースト株式会社の好意により、サーバ機を設置を置かせていただくことが可能になったため、急遽、当時テスト中であった、LinuxをサーバOSとしたPCを用意した。Linuxをテスト的に試用していたマシンと言えば、KORONである。これを、そのまま、サーバPCとして転用した形になる。

 KORONは486マシンとしては強力なマシンである。486マシンの多くは8MBしかメモリを搭載していなかったが、KORONはNT3.5なども動かしていた関係上16MB載っていた。また、ハードディスクは、IDEはなく、SCSIであった。しかもバスマスター転送できるAHA-1542CFを経由しているため、マルチタスクOSでのパフォーマンスは、平均的な486マシンよりも遙かに高かった。それをしっかりしたケースに収め、動作も安定していた。つまり、性能面でも、安定性の面でも、自信を持って出せる状態にあったのである。

 これにより、KORONは、テストマシンからInternetサーバへと役割を転じた。OSにはSLackware Linux 96がインストールされた。これにsendmailとpopデーモンによるメールサーバ機能と、apacheによるWebサーバ機能が与えられた。また、ドメインの管理も引き受け、bindも動作させた。りすと亭Ver 1.xによりメーリングリスト機能も実行していた。ピーデーのWebページも、川俣個人のページも、このマシンで公開されていた。ピーデーと私の生命線を支えたマシンと行っても過言ではない。

 運用の途中で、ハードディスクを、1GBのCONNER CFP-1060Sから、4GBのIBM DCAS-34330に交換したが、これは容量不足が原因であり、KORONの動作に不安があったわけではない。

 大きな不満があったわけではないが、Slackware Linuxに関しては、どうも動作が怪しいような漠然とした印象があり、またカーネルが古いため既知のセキュリティもいくつか出来てきた。そのため、FreeBSDへの入れ替えをしたいと考えていた。だが、大きな問題もなく動作しているため、入れ替えを行う機会はなかなか巡ってこなかった。

 KORONが運用できなくなる事態は、予想外のところからやってきた。2000年問題である。OSも、マザーボードも、2000年を超えられないことが明らかだった。OSに関しては、最新のSlackwareへのアップグレードインストールはできないことが分かったので、どうせ新規インストールならFreeBSDにしようということで、変更を決定。マシン本体に関しては、低価格サーバ機が存在することから、それに置き換えを決定。1999年12月24日、サーバの移行作業を行い、KORON(2代目)の役割は終了した。移行したサーバが、KORONの名前を襲名し、KORON(3代目)となった。

 ピーデー東京分室にKORON(2代目)が戻ってきたのは、2000年1月17日であった。

 解体は、2000年4月16日であった。

感想

 マザーボードは素性が良く分からない怪しいものであったが、全体的に安定度が極めて高い、あてになるマシンであった。やはり、要所要所に、それなりの部品を使っていることが、ポイントと言えるだろう。

 この当時は、ハードディスクの転送性能が、IDEと、バスマスター転送のSCSIでは、天と地ほども差があった。高いからといって、SCSIを敬遠するユーザーも多かったが、その分の予算でCPUを良くするぐらいなら、SCSIに投資した方が、よほど快適なマシンを手に入れることができたと考える。特に、マルチタスクOS、Windows NTやLinuxやFreeBSDなら、その傾向は顕著であろう。

 このマシンで、NT 3.5がかなり快適に動作していたことは、特に書いておく価値があるだろう。NT 3.5はメモリ16MB程度でも、非常によく動いた。ともかくNT 3.5のメモリ管理は優秀だと思った。しかし、Windows 95は、そうでもなかった。NTの方がより多くのメモリを要求するというのは、一種の幻想に過ぎないと考える。単にカタログ上に書かれた最低メモリ必要量が、NTの方が大きいというだけで、同等のメモリ量で比較すれば、NT 3.5の方が快適であった。

 またフロントパネルから簡単にハードディスクを着脱できる仕掛けのあるテストマシンは便利であった。複数のOSをインストール済みのハードディスクを複数用意しておけば、これを簡単に交換して、様々な環境をテストできた。最終構成では、ハードディスクパックは使用されていないが、これはハードディスクを4GBに交換した際に、取り去ってしまったものだ。その理由は、サーバPCとしては、OSを差し替えることはあり得ず、無用な接点が増えたり、放熱の邪魔になることは、安定動作の敵になるためだ。

写真(解体直前の最終状態)

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KORON前面 着脱可能なハードディスクパックがあった部分の前面ベゼルが無い

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KORON背面

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内部を見る

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基盤部分クローズアップ

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CPUクローズアップ。InterlのODP(486X2/66)

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部品を抜き取られたケース

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CD-ROM XM-3401B (2倍速SCSI キャディ方式)

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FDドライブ

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HDD IBM DCAS-34330 (UltraSCSI 4GB)

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マザーボード。VLスロットが3本もある怪しさ。一番上のISAスロットの下にある謎のスロットはメモリ拡張用の独自仕様スロットだったと記憶する。

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3COM 3C509 EtherLink III (10BASE-5/10)

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Number Nine GXE 64, VLバス用のグラフィックアクセラレータだが、当然、サーバPCとして使う限り、ただのVGAカード以上の役割は果たしていない。

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最近は見かけなくなったマルチI/Oカード(IDE, FDD, シリアル×2, パラレル)。これは、シリアルにバッファ付きの16550を使ったモデルで、買った当時としては珍しい高性能モデルである。当時の多くはFIFOバッファ無しで、9600bpsあたりを超えると、ぽろぽろ文字が落ちた。そのため、わざわざ単体で追加購入したものである。

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Adaptec AHA-1542CF バスマスタSCSIホストアダプタ。本当はBがいちばん安心なのだが、CFでも、そこそこ使えた。なお、FD接続は、マルチI/Oではなく、こちらのものが使われていた。

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KORONに使われていたキーボード。サーバPCとして使うときに、直接叩くことは滅多にないので、小さいものを付けた。



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作成:川俣 晶
電子メールアドレス/ autumn@piedey.co.jp