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日本の政治的対立軸は何か


最終更新: Mon Sep 12 15:30:15 2011


農本主義と重商主義

 網野善彦氏の著作で、日本の歴史においては、農本主義が優越する時代と、重商主義が優越する時代が交互に訪れているという指摘があった。

 農本主義とは、以下のような特徴を持つ主義である。

 これに対して、重商主義とは、以下のような特徴を持つ主義である。

 たとえば、日本史において、後醍醐天皇などが重商主義を推進し、江戸幕府などは農本主義を推進したと考えられる。しかし、後醍醐天皇は例外的で、天皇等の政権は農本主義を推進することが多く、それに対して、宗教関係者が重商主義を推進することが多いと考えられる。織田信長が宗教関係者を徹底的に弾圧することによって重商主義は後退し、そのかわりに、日本を統一した武家による農本主義が日本の支配的な考え方となった。それに対して、明治維新において坂本龍馬の海援隊などは、明らかに重商主義的な方向性を指向したものであったと考えられる。

拡大農本主義という仮説

 農本主義と重商主義という対立軸を現代の日本に持ち込むことはできない。なぜなら、すべての平民が農業に従事することを理想とするような考え方は現代の日本では成り立たないからだ。

 しかしながら、農本主義の考え方と酷似した考え方は、日本のあちこちで見られる。

 農本主義を農業をする主義と考えると本質を見失う。農本主義の本当の意義は、すべての人間を均質な労働力と見なし、誰がやっても毎年同じ生産量を上げることを理想とすることである。

 これは、農業だけでなく日本の工業においても、よく見られる考え方である。むしろ、少品種大量生産の現場では、このような考え方が理想として語られる。また、日本の教育は、このような均質な労働力を供給するためにカリキュラムが組まれているという話もある。

 また、日本の工業においては、「創意と工夫で一攫千金」という考え方は歓迎されない。それよりも、「種を蒔いたら確実な収穫がある」というような感覚で、「工場を作り継続的に生産して利益を得る」という考え方の方が好まれる。これなども、基本的な考え方が農本主義と同じパターンだと言えるのではないか。

 このような考え方を、ここでは拡大農本主義と呼んでみたい。

終わりを迎えつつある拡大農本主義

 農本主義と日本企業の類似性は他にも指摘できる。たとえば、一度、特定の企業に就職したら、一生そこで働き、他の組織と交流しないというのは、農本主義の他の地域と交流を持たないという考え方に類似したものがある。この結果として、他の企業では使い物にならない人材が作り出され、リストラのあと再就職できない中高年が多いという現象に結びついている。

 このような現実を考えると、拡大農本主義とは、日本の高度成長期からバブル期までの間に用いられた主義主張であり、この考え方は現実の日本社会の中では既に力を失いつつあると言える。

農本主義の普遍性・重商主義の普遍性

 別の角度から見ると、「日本的特質」だの「アジア的特質」だのという様々な特徴は、実は農本主義の特徴に過ぎないのではないかと思われるふしもある。そのように考えると、我々は、いわゆる「日本的特質」を日本の自明の特徴として受け入れる必要はまったく無いことがわかる。農本主義と重商主義は日本史上で交互に主導権を取ってきた考え方であり、今一度、日本を重商主義的な国家に変化させていくという選択も、「日本の歴史的な伝統」から見て、異端とは言えない。

戦後日本の農本主義の発生源についての仮説

 仮説というより思いつきだが。どうして、本来重商主義的性格の強い国家であったはずの大日本帝国が、終戦によって日本国となった際に、どうして農本主義的な国家に変貌してしまったのか。その理由が、進駐軍の司令官であった、ダグラス・マッカーサーという人物にあるのではないかとふと思い付いた。

 アメリカにおいては、北部が重商主義的な性格が強く、南部は農本主義的な性格が強いと考えられる。ダグラス・マッカーサーは南部(アーカンソー)の出身であり、農本主義的な社会に浸って育ったものと考えられる。

 逆に、日本側にも、ダグラス・マッカーサーの農本主義的な考え方を歓迎する土壌があったものと思われる。江戸時代の農本主義的な時代を懐かしみ、急進的でありすぎる明治以降の大日本帝国の欧米キャッチアップ政策に対する密かな反発も相当あったのではないかと考えられる。(このあたりは、あまり内容を検証しておらず、ほとんど思いつきのメモである)

農本主義と重商主義はどちらが強いか

 結論から言えば、農本主義の国家と重商主義の国家が激突した場合、一般論としては重商主義の国家の方が優位である。

 つまり、毎年同じことを繰り返すことを理想とし、創意工夫や一攫千金を否定した農本主義国家は、何でもありの重商主義国家にかなわない。軍事面でも、経済面でも、農本主義側が劣勢になる。この例外は、農本主義国家の方が圧倒的に強大な場合に限られる。

 しかしながら、農本主義国家を解体することは難しい。農本主義国家において、最も重要な資産は土地である。そして、国民のほとんどが土地に対する所有権や耕作権という利権を持っている。つまり、農本主義国家を解体するということは、体制の受益者であるほとんどすべての国民を敵にまわすということになるからだ。草の根レベルの組織的抵抗が起きた場合、それを屈服されるのは極めて難しい。

 反面、農本主義国家は地域間の交流が少なく個別地域の独立性が高いため、それぞれの地域ごとの地域共同体を尊重してやりさえすれば、それを統治下に置くのはたやすい。

日本の戦後史に照らし合わせると

 戦後日本が拡大農本主義的国家であったとすると、戦後日本の軌跡を理解することはたやすい。冷戦構造下では、資本主義陣営は重商主義的国家が多く、社会主義陣営は農本主義的国家の集まりであったと考えられる。この構造下で、日本は、他の重商主義的国家に支えられつつ、農本主義国家の構造を持つ社会主義国家と対立する形となっていた。しかし、そのような構造はあまり重要ではなく、どちらも引けないイデオロギー対決という一種のメンツ対決という意味合いが強いものであった。

 この状況は、実は拡大農本主義にとっては非常に有利である。つまり、去年も今年も来年も、大きな国際情勢の変化は無いと考えられるからだ。変化があれば全面核戦争で人類滅亡になりかねないから、うかつに変化を引き起こすことはできないのである。この状況に深く適応する形で、拡大農本主義的社会を構築すれば、状況から最大限の利益を引き出すことができる。また、共産主義に対する防波堤という立場ゆえに、日本が豊かになることに反対を示す同盟国もない。

 しかし、冷戦構造が崩れると、他の重商主義的国家が日本をチヤホヤする理由は何もない。重商主義と農本主義が競った場合、重商主義の方が有利であるという原則からして、日本は不利な立場になる。また、国際情勢は不安定化し、来年も本当に今年と同じかどうか定かではない。そのような変化の激しい時代に、農本主義的社会はうまく適応できない。

 このような構造が背景にあることを考えると、日本の出口の見えない不況の原因は、バブル期の不良債権などという表面的なものだけとは考えられない。バブルを精算するのは単なる後始末でしかなく、その後、どのような性格の国家として再生させるのかを、明確なビジョンを持たねばならないだろう。しかし、現在に至るもろくなビジョンが描けていないのは、既に述べた「農本主義国家を解体することは難しい」という側面が強く機能しているためではないか。

順当な未来ビジョンを描くと

 これまでの話をまとめて、順当な日本の未来を描いてみよう。

 一応、みんな豊かになりたいと思っているとしよう。これが前提とする仮定である。貧乏でも先祖伝来の土地を守る方が大切、ということだと、別の解釈もあり得る。

 さて、豊かさという指標で考えれば、農本主義的国家よりも、重商主義的国家の方が有利である。基本的には、明確な意志と方向性をもって、農本主義的から重商主義的へ転換していく必要があるだろう。

 その際重要なことは、日本が1990年代からの不況で貧しくなった理由と、重商主義的路線への転換で豊かになるメカニズムを明らかにして、国民に説明することだろう。基本的に、豊かになる方策を拒むのは、よほどの偏屈者だけであり、国民の過半数の支持を得ることは可能であると考える。

 ただし、特定個人や共同体の豊かさを保証することはできない。この点には充分に注意を払う必要がある。農本主義では土地さえあれば一定の富を得られることが期待できる。たとえば、現在の日本なら、米を作ればある種の収益が確実に期待できる。しかし、重商主義社会では、そのような期待を持たせることはできない。当然、失敗したら、今より貧しくなる人が出てくる可能性もある。

 つまり、重商主義への転換は、おそらく、豊かさの平均値は農本主義的国家よりも高い水準に上がることが期待されるものの、特定個人の豊かさが向上することは保証されない。

日本は重商主義的国家に向いているか?

 言うまでもなく、日本は歴史的に、農本主義と重商主義を往復してきたのだから、もう一度重商主義に戻れないと考える理由はない。充分に重商主義的国家をやれるだろう。

 重商主義的国家への適性という意味では、何と言っても、中国とアメリカの中間に位置する島国というのは、やり方次第では交易に非常に有利である。また土地が乏しく資源も無い日本が、世界という場で活躍するとしたら、農業生産に頼るのはどうみても不利である。それよりも、交易や知的所有権など、生産を必要としない分野での活躍を目指す方が合理的である。

食料安全保障はどうするのか?

 網野善彦氏の著作によれば、日本国内で食料を金で買って生活していた地域というのは、昔からあちこちにあったらしい。それを考えると、食料の自足自給に過度にこだわるのは、必ずしも日本の伝統とは言えない。

 現在の日本人の考える食料安全保障とは、太平洋戦争中に飢えた経験を背景にしたものであろう。だが、なぜ日本人が飢えたのかと言えば、そもそも無謀な戦争を始めたことが根本的な原因である。無能な指導者を国家のトップに据えたことがそもそも間違いであって、そういう馬鹿なことをしなければ、基本的に飢えることはないと考えられる。

 ちなみに、太平洋戦争で日本人が飢えた直接的な理由は、日本海軍が輸送船を護衛しなかったためである。そのため、貴重な食料や物資を積んだ船は、ことごとくアメリカの潜水艦に撃沈されてしまった。これに対して、同じ島国のイギリスでは、海軍が全力を挙げてドイツ潜水艦から輸送船を守り、死闘を繰り返した。これによって、イギリスは第2次大戦を耐え抜いて最後には勝利したのである。日本海軍とイギリス海軍の取った行動を比較すれば、問題は明白だろう。太平洋戦争で日本人が飢えたのは、同じ日本人がなすべき仕事をしなかったためである。つまり、同胞の裏切りであり、人災である。

政治的な構図

 農本主義と重商主義が、日本における価値観対立の軸であると仮定すると。この対立する2つの方法論を明確に政治の場で対立軸として展開可能な政治的構図があることが望ましい。たとえば一つの政党の中に農本主義者と重商主義者が同居するような状況が起きるとすれば、外部から見た対立軸が非常に分かりにくくなるし、争点に対する判断を選挙でも示しにくい。

 これを解決するには、農本主義的政党と重商主義的政党が競い合う2大政党が必要であろう。

 言うまでもなく、現在の自民党は、農本主義的色彩の濃い政党である。従って、もう一つ、明確に重商主義的政党の出現があれば、この構図は成立する。しかしながら、民主党がそのような主張を明確に持っているかというと、どうもそうではない。とりあえず、サラリーマン出身の都市型議員は存在するものの、サラリーマンである、都市であるということと重商主義はイコールではない。むしろ、従来型のサラリーマンは、拡大農本主義者である可能性もある。そのような意味で、重商主義者の政治家は存在するかも知れないが、重商主義的政党はゼロから作らねばあり得ないものなのかもしれない。

重商主義的政党はどのような性格のものか

 網野氏によれば、重商主義の政権は、どれも専制的な性格を持つそうである。これは、農本主義と異なり重商主義は人、物、金の流通の多い方法論であることから理解できる。流通する以上は、様々なルールや単位などが標準化されている必要がある。地域ごとに長さや重さの基準が変わったり、取引ルールが変わることは、重商主義の妨げになる。

 従って、重商主義的政党の政策は、中央集権の強化、全国均一のルールの徹底、地方独自の各種慣行の徹底的な排斥などが考えられる。逆に、地方分権の強化や地方独自文化の尊重などは、重商主義的政党には似合わない。

 専制的な政権ということになると、天皇の権威を借りるというやり方がある。明治維新はまさにそのような方法で実現したわけだが、これは歴史的に見てあまり妥当な方法でなかったと言える。一部の例外を除き、日本の天皇は商取引の神様として待つ上げるには適切ではない。また天皇を祭り上げたからと言って、それが専制的な政権に支持を集める強い力になる時代でもない。むしろ、天皇という不可侵な存在を内部に抱え込むと、政権の透明性が損なわれる危険がある。

 重商主義は商取引の活発化が一つの反映させるべきポイントとなる。当然のことながら、活性化した商取引から税を取って収益とすべきである。そのため、消費税を中心とする税体系に移行することが政策となるかも知れない。


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作成:川俣 晶
電子メールアドレス/ autumn@piedey.co.jp