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日本像の修正(海運国家観)


最終更新: Mon Sep 12 15:30:15 2011


網野史観との出会い

 ごく最近、網野善彦氏の著作と出会ったが、これは強烈な衝撃であった。実際、ちまちまと本を読んだりして、自分なりの歴史観というのを構築していたわけだが、それがいきなり根底から覆されてしまった観がある。

 それほど多くの網野善彦氏の著作をきちんと読んだわけではないので、かなりラフな話になるが、一言で網野史観を要約すれば、海運が大きな意味を持つ史観と言える。つまり、日本は伝統的に、海、川、湖などの水面を用いた運輸が活発な土地であったということである。現在の主要な日本観は、海を交通の障壁として捉えて、海外との交流が少ない、いわゆる「島国」文化であるとしている。うっかり私もそういうものだと思っていたが、冷静になって考えてみると、これはおかしい。

 本来船による輸送というのは、他の輸送手段に比べ、格段に効率が高い。トラックや航空機のある今日では、船を用いた輸送は便利ではないため、あまり活発ではない。だが、船が最も効率の良い運送手段であるという事実が変わったわけではない。まして、トラックや航空機のない時代であれば、船の持つ輸送能力は圧倒的と言える。それほど優れた船を利用可能な海に囲まれた日本が、それを活用して来なかったと考えることは、極めて不自然である。従って、海を障壁として考える史観と、海を輸送路として考える史観を比較した場合、後者の方がはるかに合理的であり、整合性がある。

 この整合性こそ、私が網野史観を信用してみようと思わせるに至った理由である。当然のことながら、自分で調査していない以上、どんな本であろうと、そこに書かれたことが事実であるかどうか分からない。そのような状況で、内容の真贋を判定する手段は限られているが、その一つが、論理性と整合性である。嘘を付けばどこかで論旨に無理が出てくると考えられる。その意味で、網野史観は、極めて説得力があった。

日本の東西文化圏

 海に注目して日本の地理を考えた場合、瀬戸内海の存在は大きな価値を持つ。これが存在するために、西日本では、海に面した土地が飛躍的に多いのである。更に、大陸との交通を考えると、大陸から朝鮮半島、対馬を通って、瀬戸内海に入り、大阪から川を遡って琵琶湖に至る。この一連の水面によって結ばれた交通路の存在は極めて強力である。この交通路によって、おそらく、大和朝廷成立前、邪馬台国の時代かそれ以前から、人や物が豊富に行き来していたと考えることは合理的に思える。そのような意味で、邪馬台国が、九州にあるか近畿にあるかは、それほど重要ではないと考えられる。どちらにせよ、同じ文化圏の中である。

 この文化圏の終点は琵琶湖と考えられる。ここから先は内陸部を貫通する水面がなく、先に進むことは困難である。このことから、琵琶湖のあたりまでが西の文化圏となり、名古屋あたりから先が東の文化圏を構成すると考えるのは妥当であろう。

 西の文化圏の大陸側の限界点がどこに来るかは明瞭ではない。どこかに明確な境界があるというよりも、大陸側の文化と入り交じった共存地域があったと考える方が自然だろう。朝鮮半島や九州北部は、そのような感じの共存地域であったとしても不思議ではないだろう。日本や朝鮮に強力な統一国家が成立することで、九州と朝鮮半島の間に国境線が確定したと考えられるが、交易面では、密接な交流が続いたと考える方が妥当ではないだろうか。

 強力な海運能力を持った西日本と、そうではない東日本の文化は、様々な意味で大きな違いがあると考えられる。特に経済的な能力という面では西日本の方が強力であったと考えられる。その経済力をバックグラウンドとして、西日本が東日本を征服したと考えれば、歴史的な経緯は合理的で納得ができる。しかし、東日本には瀬戸内海や琵琶湖のような便利な水面が少ないため、軍事的な輸送や経営には不向きであったかもしれない。実際、西日本による東日本の軍事征伐や、東日本領地の経営が、スムーズに進んでいたようには見えない。

なぜ我々は日本を海運国家だと思わないのか

 なぜ我々は日本を海運国家だと思わないのだろうか。その理由を2つ考えてみた。

 第1に、江戸時代の鎖国政策の影響である。鎖国において海は出入りできない境界である。海を、運送の手段として積極的に利用するような考え方は起こりにくい。しかし、現実には江戸時代にも国内に限定された沿岸輸送は活発であった。全国の米が大阪に集められたのも、船があればこそ可能になったことである。

 第2に、太平洋戦争後、日本が海外の権益を全て失い、極めて内向きの体質の国家に変貌したことがあると考えられる。日本は、戦前は、世界有数の商船を保有する海洋国家としての性格を持っていた。しかし、戦争において、無能な軍事指導者の失策によって、商船の大半は沈んでしまう。そして、その後、再び海運国家として復権することを強く指向することはなく、米作(農業)政策には注意を払っても、海にはあまり注意を払わない体質の国家になっている。もちろん、現実には日本は多くのものを輸入に頼っており、その多くは海上輸送路を通じて日本に運び込まれる。また、輸出される製品の多くも、海上輸送路を通して送り出されている。この輸送路の安全性という意味で、シーレーン防衛というキーワードで1980年代あたりに登場しているが、政治家も一般の日本人も、その意味がピンと来ていないようであった。

 この2つの理由のどちらも、あくまで「ものの見方」の問題でしかないことは注目すべきだ。つまり、日本が海運国家を意識的に目指しているかどうかと関係が無く、どんな時代であっても、海上輸送路は活用されているのが現実であると考えられる。しかも、日本の生命線である。

 これは別の角度から言えば、「日本は海運国家ではない」と考えることは、どの時代を想定しても現実と乖離しており、そのような考え方を取った議論はすべて机上の空論でしかない、ということである。当然、海上交通路を明確に意識しない日本の国家論もすべて机上の空論と考えられる。


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作成:川俣 晶
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