ここでは恐竜荘物語について検討します。
聖凡人伝と恐竜荘物語の共通点 §
- アパートの隣に大マンション
- 早名礼子は大マンションのオーナー
- アパートの管理人におばさん
- 早名礼子は黒い服を着ている
- 早名礼子は割と簡単に裸を見せたり宴会に参加したり性交を許したりする
- 早名礼子の部屋には大きな風呂があり、男女や屋台を入れ、裸を見せながら入浴する
- 主人公の隣の部屋の男はセックスコンサルタント
聖凡人伝と恐竜荘物語の相違点 §
- アパートの名前が異なる。聖凡人伝では首つり荘、アパート荘等。恐竜荘物語では恐竜荘または恐龍荘
- アパートで発生している自殺の回数が過去の記録を含め明らかに少ない
- 屋台のおやじがおらず、セックスコンサルタントの夜の仕事が屋台
- 隣のアパートには早名礼子が愛するチビでメガネでガニマタの男はいない。主人公のジュリーがその立場になるわけでもない。ジュリーには別の女ジュンがいるし、早名礼子も積極的にジュリーと寝ようとはしない
- セックスコンサルタントとは聖凡人伝では最初からセックスコンサルタントだが、恐竜荘物語では作中で新副業として始める
- 大マンションは妾・2号専用ではなく、広告社のオフィスがあったり、刀剣の販売店があったりする
- セックスコンサルタントの名前が小久保と明示されない
時系列の考察 §
聖凡人伝と恐竜荘物語の相違点は、時代が前後して状況が変ったからだ、と解釈できるでしょうか。
まず、恐竜荘物語は聖凡人伝よりも昔の話であると仮定すると決定的な矛盾が生じます。聖凡人伝の作中で大マンションは建設されるので、聖凡人伝よりも前の時代に大マンションは存在しないからです。
しかし、恐竜荘物語は聖凡人伝よりも昔の話、つまり出戻始がアパートを出た後の話だと考えても話が整合しません。恐竜(龍)荘という名前は戦前からあるとされますが、聖凡人伝のアパートには無いからです。また過去の自殺者数についての数字も、聖凡人伝の作中で首を釣った人数からすれば少なすぎます。
従って、この2つの作品はパラレルワールドの関係にあり、同一世界ではないと考えられます。スターシステムによって、早名礼子は大マンション込みで別世界に再登場したと考えるべきでしょう。
2つの作品の違い §
出戻始とジュリーの差は、おそらくは年齢と人生経験の厚みの差であると考えられます。その結果として、様々な事件、特に性的な事件に遭遇した際の成り行きは大きく異なります。ジュリーは、他人の変態プレイをとことん冷静に見た上であっさり見限って帰ったり(「吸血家」)、アパートの環境を守るためにトルコで女を買って迷惑な男に抱かせたり(「零時の神風中年降服」)、大人らしい冷静な態度を示します。一方で、頑張っている他人のために暴力をふるったり(「地震地帯夜の上下」)、自分よりも他人のために頑張ってしまう熱い心もあります。これらは、やはり人生経験が厚い大人であることから生じる展開でしょう。
一方で、ゲスト登場人物達は、しばしばジュリーよりも子供であるように描かれます。たとえば「ジュリーの魂」に出てくる我が儘な女社長は、明らかに精神的な意味での子供です。それが分かっているから、周囲の大人達は、全員愛想を尽かすか、あるいは優しく諭してくれます。
このような差が、2つの作品の持ち味の決定的な差として表出しているように感じます。
2人の早名礼子の違い §
聖凡人伝の早名礼子は、出戻始の就職依頼のために男と寝ます。
恐竜荘物語の早名礼子は、ネコを引き取って貰うために日本最大のネコ好きと寝ます。
この2つは似ているように見えますが決定的に違います。
謝礼のために寝るという行為が持つインモラルな側面を横に置いて考えるとすれば、この2つの行為には「私のために他人を頑張らせる」か「私のために私が頑張る」かという構造的な相違があります。
前者は、欲望と手段がダイレクトに結びついておらず、「卑怯」「汚い」「甘やかし」という印象が発生しうる構造です。それに対して後者は欲望と手段がダイレクトに直結しており、「私が求めた結果のために私が身体を張って頑張った」という構造になります。これはストレートで、(インモラルな側面を除外して考えれば)清々しいやり方です。
つまり、聖凡人伝の早名礼子の性行為は、回数、頻度は多いもののストレートな爽快さを欠くが、恐竜荘物語の早名礼子の性行為は回数こそ少ないものの、ストレートな爽快さを示す、というこです。
また「パニックマンション上下動」の最後で、綺麗な見かけを取り繕うことをやめ、「くそ」「私も行くよっ」と言ってスカートをたくし上げて宴会に走る早名礼子は、その種のストレートな爽快さを別の形で象徴する描写であるとも言えます。
まとめ §
従って、恐竜荘物語のジュリーも早名礼子も自立した大人であり、他人と支え合って生きる必要性を持っていません。そこが、聖凡人伝の出戻始と早名礼子との差でしょう。
だから、恐竜荘物語は1つ1つのエピソードが綺麗によくまとまっていると同時に、長期連載になり得ないとも言えます。綺麗にまとまれば続かないのが成り行きです。
このような点をより好ましいと思えるか否かが恐竜荘物語と恐竜荘物語の早名礼子を気に入るか否かのカギとなるのかもしれません。