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川俣 晶の自己紹介


最終更新: Mon Sep 12 15:30:02 2011


 ここは、川俣 晶の自己紹介を行っているページです。

このページの目次

主要な構成要素

肩書き

生まれた年

 1964年(東京オリンピックの年)

好きなもの

 ちゃんと動く機械やソフト

嫌いなもの

 ちゃんと動かない機械やソフト

やっているお仕事

注:プログラム開発は公式に仕事の範囲から削除しました(1998年12月21日)。事情は「川俣はプログラマにあらず」を参照。とはいえ、何もしないというわけでもないので、各種技術デモンストレーション ソフトウェアの作成という項目を追加しました(2001年12月12日)

昔やったお仕事

お仕事以外のプログラム

 ここに書いたものが全てではありません。

コンピュータにはまったわけ

 私が、現在のような、文章も書くコンピュータのプロとなってしまったのには理由がある。
 ポイントは1970年の大阪万博だと思う。当時、私は幼稚園児だった。つまり、影響を非常に受けやすい年代だったわけだ。そのころ、私の父は、勤務していた会社の中で、IBMのコンピュータを導入する部署に配属されていた。といっても、父がコンピュータのプロだったわけではない。何の予備知識もないまま、そこに配属されたらしい。というわけで、父からコンピュータの手ほどきをうけた、というこもない。だが、この立場と、大阪万博の組み合わせが、思わぬ幸運を生んだのだ。大阪万博のIBM館には、VIP専用の設備があり、そこに入ることができたのである。IBMとしては、重要な顧客企業の担当者へのサービスに過ぎないのだろうが、望んで入れる場所でもなく、ラッキー以外の何者でもなかった。
 問題は、そこで手に触れ、体験したことである。
 今から思い起こすと、ライトペンとCRTを使ったインタラクティブな画像データベースではなかったかと思う。画面上に、画像が出てきて、何カ所かある指定の場所をライトペンで押すと、それぞれに対応する画面が出てくるのである。一種のハイパーテキストである。これが、1970年にあったのだから、驚きである。
 さて、このシステムに触れることを許された私は、それを使って何をしたのか。どうやら、家族連れの顧客の子供を飽きさせないためか、漫画が入っていたのである。内容は、鉄腕アトムと、もーれつア太郎という、当時の人気漫画である。しかも、途中で、ストーリーが二つに分かれるというマルチストーリーなのである。
 幸か不幸か、子供の私は、これを、たっぷり楽しんだのである。
 というわけで。「コンピュータはけして間違いを犯さない巨大で高価で複雑で難しい魔法の機械だ」などという当時の一般的な常識ではなく、「コンピュータは漫画も読めるわくわくする機械だ」という常識はずれな(しかし、現代から見れば、しごく当たり前な)印象が植え付けられてしまったのである。おかげで、特別な人だけが使うことを許されるようなコンピュータには、かけらほども興味が湧かない。おかげで、メインフレーム等のSEが束になってサポートしないと稼働しないようなシステムと関係する仕事は、ほとんどしたことがない。逆に、誰でもその気になれば買えるような価格帯のコンピュータには、わくわくしてしまうのである。
 そのような訳で、私の仕事のメインはパソコン関係なのである。

川俣はプログラマにあらず

 大変驚かれた方もいるかと思いますが、ここではっきりと書くことにしました。川俣はプログラマではありません。もちろん、プログラマとは、コンピュータのプログラムを作成する人のことです。グラマーな娼婦のことではありません。

 どうも、世間の一部に『ある種の誤解』があると思います。確かに、川俣は、なかなか普通のプログラマには書けないようなプログラムを書いたことが幾度かあります。だから、川俣は凄いプログラムを書ける、と見る人が出てくるわけですね。そして、『凄いプログラムを書ける=凄いプログラマである』と思うわけです。問題はその次にあります。それは何かというと。

 とあるプロジェクトで開発中のプロジェクトがあるとします。ところが、どのプログラマが取り組んでも、どうしても完成できない部分が出てくることがあるわけです。このままではプロジェクトが失敗に終わってしまう。どうしよう。そこで、こう思う人が居るわけですね。

 「並のプログラマに出来ないことでも、凄いプログラマに依頼すればできるに違いない」

 このパターンで私のところに来ても解決できないと思って間違いないでしょう。はい。川俣の経験上、これには、3つの問題があります。

 コストの問題というのは、執筆だの、標準策定作業だのをやっている、代表取締役の肩書きのある人間を、ヒラのプログラマとして使うわけですから、当然、非常に高くつきます。プログラマがなんでそんなに高いんだよ、と言う人も居ますが、もともとプログラム以外の仕事がメインなんですから、当然の結果です。話が私のところに来ても、この点で折り合わないというのが、現実でしょう。

 スケジュールの問題というのは、既に破綻したプロジェクトでX日以内になんとかして欲しい、というような話ですが、これも無理があります。その無理を含めて引き受けると仮定すれば、コストは更に増大しますが、そうでなくてもヒラのプログラマに、そんな大金出せるだけの予算はないので、やっぱり駄目です。

 それ以前の問題というのは、まあたいていの場合、破綻するプロジェクトは、そもそも無理があるのが普通です。ただ単に、特定のプログラムが難しいから書けない、ということは滅多になくて、最初から全体の設計が悪いために、普通に作製できないプログラムというのが生じてしまうのが一般的です。つまり、プロジェクトが破綻に至った本質的な問題というのが他にあるわけですね。本来なら、そっちを解消するために、プロジェクトを再構成しなければ、プロジェクトを救うことはできないわけです。仮に、プロジェクトの問題点を洗い出して再構成してくれ、というような依頼なら、引き受けて意味のある仕事はできます。しかし、ただ単に、作業工程上ネックになっているプログラムだけ書いてくれ、というような依頼だと、泥沼に引き込まれる恐れがあるので、引き受けにくいです。つまり、プロジェクトの骨格が不安定だと、1回書いたプログラムへの手直しが多発して、ひどく時間を食われる恐れがあるということです。それも、せっぱ詰まったスケジュールで、「お願いだから、ここだけ直して」というのが納品後にも、頻繁に来る恐れがあります。こういうのは、引き受けられません。

 さて。仮に、そういう問題をクリアして、プログラムの仕事を引き受けたとしましょう。でも、川俣が過去見せたような素晴らしい(とクライアントが思うような)仕事を行うのは無理です。なぜかといえば、まともな仕事というのは、実は始める前に既に決着が付いているからです。適切なノウハウを持ち修得し、必要な情報を持ち、結果に対する明確な見通しがあるという状態で、プログラムを書き始めたとき、はじめて、人並み以上の成果が出るわけです。それは『事前の準備が平均以上に充実しているから、それによって、平均以上の成果が出る』ということです。逆に言えば、適切に準備されていないプログラムをポンと渡されても、そんなに良い仕事はできやしないのです。もし、仕事の主導権をすべてこちらに渡して、環境をすべて見直して、きちんと仕事が進められる体勢づくりをさせてくれるなら、まだしも可能性はあると言えます。でも、そうでないなら、非常に難しいです。

 つまりですね。川俣がそれなりの成果を出せる状況というのは、プログラムのコーディングより手前の、もっと本質的な部分に対する大きな裁量権を持っている場合に限られる、と言っていいと思います。たとえば、MINI-DOSは、すべて川俣がスペックを決めて実装しました。WIFEも、川俣が全面的に仕様をデザインして、その上で実装したものです。というよりも、本当は、仕様そのものに価値があるのであって、実装は本質的に重要なことではないと言えます。大多数の技術者は、仕様をきちんとまとめる技能、特に公開された公的な仕様を定める技能を学んでいないので、誇張でも何でもなく『川俣にしかできない仕事』であることがよくあります。それに対して実装ができる技術者は、はるかに多いです。(このあたりは、かなり誤解があって、技術者として優秀であれば仕様書を書けると思っている人が多いです。でも、それは間違いです)。

 こういう話を前提に考えてみます。はたして何が悲劇を生むのかというと。『川俣はプログラマだ』という認識をする人がいて、それを、普通のプログラマという職種の範疇で理解することから始まるといって良いでしょう。もっと言えば、プログラマとしての資質と、システムデザイナーとしての資質の違いが、きちんと区別できていない人がいる、ということも言えるかもしれません。

 じゃあ、この現実に対して、川俣の側から打てる手はあるのか、と考えると。一つだけありますね。それは何かというと。

 「川俣はプログラマではありません」という意思表示を明確にすることです。

 なんと簡単なことではありませんか。こうすれば、川俣に対して『ちょっと能力が優れたヒラのプログラマ』のつもりで依頼してきて、見積もりの高さに驚いて去っていくという、お互いにとっての時間の無駄が避けられそうですね。

 じゃ、プログラマじゃないなら、おまえは何をするんだ、と言われそうですが。結論としては、企画、執筆、技術仕様作成などです。特に公開された標準技術仕様あたりは、今の日本は危機的な状況にあります。書ける人間がひどく少ないからです。儲かることじゃないんですけど、ともかく、やれる人間がやらにゃしょうがないでしょう。ということで、やることにしてます。ちなみに、それならオレだってできるぞ、という人がいたら連絡下さい。本当にできるのなら、やってもらいます。もっとも、「オレの能力ならできるはず」という自負だけでは駄目ですよ。自負なら完璧という人間はいくらでもいます。まずは実績をちゃんを見せて下さい。

 蛇足ですが。これは、川俣がプログラムを書くことを一切やめるという意味ではありません。そんな面白いことを、全部やめちゃう訳がないでしょ? 書きたいプログラム、必要なプログラムは書きます。はやいはなし、「プログラマじゃない」と宣言したにせよ、プログラマじゃない人間がプログラム書くことを止める法律は何も無いわけですから、問題ないですね?


川俣とは何者か混乱する!?

 「このウェブサイトを見ると、川俣が何者であるか分からなくなってしまう」という意見があるので、この項目を書き加えます。

 川俣が何者であるか、という問いに対しては、「川俣は川俣である」というのが、もっとも簡潔な答えです。これで理解できた人は、この先は読まなくてもいいですね。

 そうでない場合は、まず、そもそも「川俣が分からなくなる」ということなのかを、解きほぐすことから始めなければなりません。なぜなら、「川俣が分からなくなる」というのは、「川俣が分かっている」という状態から、「川俣が分からなくなった」という状態に変化したことを意味するからです。ということは、こういう意見を言う人は、このページを見るまでは「川俣を分かっていた」と思っていたわけです。では、ここでいう「川俣を分かっていた」とは、具体的にどういう状況なんでしょうか? 言うまでもなく、人間というのは本音をさらけ出して生きている訳ではなく、誰でも、その場その場に対応する顔を作っている訳ですね。たとえば、コンピュータプログラムの仕事をする場合は、川俣はコンピュータプログラムの仕事の顔になって、仕事の関係者と会います。ライターの仕事をする場合はライターの顔になって編集者と会います。それとは別に、プライベートな顔というのもあります。そのうちの、どれか一つの顔を見ることで、「ああ、これが川俣というものだ」と理解することはできます。しかし、それはすべての顔というわけではないですね。だから、川俣の他の顔に触れることで、「意外」という感想を持つことは、なんら不思議なことではないです。そもそも、こんなことは、川俣に限らず、どんな人間を相手にした場合でも、起こることです。けして、川俣だけが特別ではないと思います。

 とはいっても、他の人と比べても、特に川俣の場合は意外だ、と思う人も多いようです。これは、なぜでしょうか?

 私自身は他人の心は覗けませんので、あくまで推測で書きますが。根本的な原因は、「川俣は凄い技術力を持ったプログラマである」という神話(そう、これは神話です。理由はあとで書きます)に印象を引っ張られているためではないかと思います。天才少年、ハッカー(もちろんマスコミの言う犯罪者の意味ではなく、本来の意味の)、ハイレベルのプログラマ、というような印象で見られている場合があることは、何となく感じています。そのような印象で受け止められた場合、やはり、世の中には、皆が抱くイメージがあるわけですね。眼鏡を掛けて、薄汚れた服を着ていても気にせず、年がら年中パソコンに向かってキーボードを叩いて、他人に会うのは嫌いでコンピュータを使わないと他人と話もできず、女の子の前にでると喋り方も分からず(あるいは、生身の女の子には興味もなく)、食事はジャンクフードが大好きで、世の中の常識的な話題には興味も示さない。パソコンさえ使えれば、そりゃもう、幸福というわけです。

 仮に、このイメージとしての「天才プログラマ」を「川俣像」として理解したとしましょう。それで、www.autumn.orgを見に行ったとしましょう。さて、どんな印象を持つでしょうか? 意外と思っても、不思議ではないですね。大きく見るだけでも、CGアーティスト、模型製作者、音楽製作者としての顔が、ここに並んでいます。そうそう、高尾山に登山したときの写真なんかも載ってますから、それも意外でしょうね。イメージ上の天才プログラマは、家にこもってパソコンを使っているものだから、ハイキングなんかに行く訳がないですね。

 ここまで書けば、混乱の源泉がどこにあるか、明白ですね。世間にある天才パソコン少年のイメージを、川俣に重ねた人は、その時点でぜんぜん実態とかけ離れてしまったのです。(注:川俣は1964年生まれですから、とっくに「少年」ではありません。念のため)。

 ここで、世間にある天才パソコン少年のイメージが、どこから来たかについても、少し触れておきたいと思います。言うまでもなく、世間がイメージするような、天才パソコン少年など、この世界には実在しません。虚像、と言っていいと思います。このような虚像が出てきたのは、理解できない人間への畏怖、というのが根底にあるのではないかと思います。つまりですね。博士でも大コンピュータメーカの技術者でもない、ただの子供のくせにコンピュータを自由自在に使える、という状況に畏怖する気持ちがあったのではないでしょうか。もちろん、「自分はコンピュータなど使えないのに」というのが、その背景にあります。しかし、現実は現実です。そういう現実を受け入れるためには、受け入れるためのストーリーが必要になります。そのストーリーこそが、一般人とは全く価値観を異にする「天才パソコン少年」神話ではないでしょうか。この神話で重要なところは、コンピュータに対しては天才的であるのに、人間としては欠陥品であるという点です。天は人に二物を与えていない、と考えることで、一般人はコンピュータを使う子供がいる、ということを受け入れられるわけです。

 言うまでもなく、このストーリーは、一般人が納得するために作り出された神話であって、現実を反映はしていません。現実には、コンピュータは神秘的な機械ではなく、使い方さえ分かっていれば、誰でも使える道具に過ぎません。やや年輩の世代が、メンコやベーゴマやナイフで鉛筆を削る技量を磨くために費やした労力を、コンピュータに費やすことで、若い世代はコンピュータが使える。まあ、そんなものでしょう。本来、コンピュータはちゃんと勉強すれば使える道具なのだから、そこには、何の天才性も、神秘性もありません。もちろん、「あんな難しいもの、ふつうの人間に理解できるわけはない」と思っている人もいるでしょう。マニュアルを途中で投げ出した人も多いでしょう。しかし、その難易度は、昔からある武道や珠算などと比較して、極端に難しいとは思えません。仕事の道具として、そろばんを使いこなせるようになるのは、非常に難しいことです。子供の頃から、訓練しないと、なかなかできるものじゃありません。それに比べて、コンピュータが難しいとは思いません。おそらく、コンピュータが難しいと投げ出す人は、珠算も投げ出す人か、あるいは、それだけの訓練をするには歳を取りすぎた人でしょう。

 では、川俣の場合はどうでしょうか。もちろん、天才パソコン少年が実在しない以上、川俣がそのような人物であった、という事実も存在しません。しかし、川俣が、子供の頃から、パソコンに触れ、これを使っていたといのは事実です。また、いくつかの重要なプログラムの仕事をした、というのも事実です。川俣のプログラマとしての知識、経験が、一般的なプログラマの水準を上回っているのも事実でしょう。しかし、これだけの知識、経験を得るにあたって、その過程に何の神秘性も天才性も介在していない、ということは間違いありません。なぜなら、この知識や経験を得るまでのプロセスをすべて明確に説明できるからです。そのプロセスには、川俣しか実行できない特殊なものはありません。ですから、川俣と同じことをやれば、川俣に匹敵する知識と経験が得られるはずです。逆に、川俣よりも水準が低いプログラマが、なぜ、同じ水準でないのかというと、学ぶべき知識や経験が、川俣と比較して明確に欠けているからです。これには、日本の情報処理教育、一般的な教育、組織の体質、人材不足など、様々な理由があると思います。しかし、根本的な原因は明らかです。適切な学習と、積極的に経験を増やす努力を続ければ、少なくとも、川俣に匹敵するレベルまでは向上できると思います。そのことには、何の不思議もありません。言い換えれば、やる気の問題、努力と根性の問題です。

 話をまとめましょう。つまり、川俣は天才ではありません。普通の人間です。これでこの話題は終わりですね。

 え? まだ終わってない? 人並み以上のプログラム書ける上にCGも音楽も作れるなんてずるい? 天は二物も三物も川俣に与えるのか?

 しょうがないですね。説明しましょう。川俣が、これらの成果物を作るに当たって、神から与えられた神秘的な才能は、ほとんど関係ありません。そもそも、川俣がやりたいと思ったことは、一種のバーチャルリアリティ、マルチメディアコンテンツの作成です。子供の頃は、まだ、そういう明確な言葉はありませんでしたが、漠然とそういう指向を持っていました。なぜ、川俣がプログラムを組めるようになったのかといえば、それを実現するためには必要だったからです。OSの深い知識を持って、OSすらも開発できるスキルはどこから来たのかと言えば、満足できるOSが存在しないために、すべて自作する羽目に追い込まれたのが理由です。別に、才能があったから作ったわけではありません。もっとも、取り組んでみると面白いテーマだったので、つい深入りしすぎたというのは事実ですが。コンピュータグラフィクスへの興味も、同じ動機から始まったものです。実際、川俣のCG歴は長いです。いきなり、才能が開花して作品づくりができた訳ではなく、チマチマと長い時間を掛けて、いろいろ作業してきた結果が、現在の川俣のCG作品です。音楽については、たしかに、自作を始めたのはごく最近ですが、それ以前に、いろいろな音楽を聴く、という行為を通じて、音楽の基本文法や、自分の好みを明確にする、ということをやってました。これも、いきなり才能が開花して、突然音楽が作れるようになった訳ではありません。

 はい。では、本当に結論に行きましょう。川俣という人物を理解するためには、神秘的な才能を持ち出す必要はまったくありません。努力と根性(あるいは、飽くなき欲求に負け続け、欲求を満たすために結果としていろいろな能力を身につけてしまった軟弱な精神)こそが、現在の川俣を作り上げた原動力です。

 自分にできないことが相手にできるからといって、それを才能のせいにするのはやめよう。99%それは、努力と根性の不足でしかない。努力しても出来ない、という人は、本当は出来るようになりたいと思っていないか、努力の方法を間違えているだけである。もう歳だから、努力するための体力が足りないという場合は……、しょうがないから一緒に酒を飲みましょう(川俣は飲めないが^^;)。

 とまあ、以上のようなホラ話を書いてみたんですが、いかがでしょうか? え? ホラ話って、なんだって? ホラ話はホラ話ですよ。ますます川俣という人間が分からなくなった? 別に分からなくてもいいんですよ。そもそも、川俣という人間を理解することに、どんな意味があるんですか? それは本当に必要なことなんですか? 川俣に限らず、人間なんて誰だっていろんな顔と複雑な内面を持っている訳でしょう? 分かりやすいラベルを貼ってしまうことで、周囲も本人も安心できる、ということはあるでしょう。でも、それは、大人にしかできないことですね。何しろ、精神年齢14歳の川俣は、まだまだ(気持ちだけは)伸び盛りなもんで、ラベルを貼っても剥がれちゃうんです。おっと、またホラ話が過ぎましたかね。失礼しました。


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作成:川俣 晶
電子メールアドレス/ autumn@piedey.co.jp