「シヌノラの過去のプライベートを知る唯一の男・タタンダールの正体を考察する」においてタタンダールとは、
フランス革命においてアメリカに亡命した貴族の第3世代であり、亡命第1世代から「北フランス貴族の正当な剣筋」を伝授された者と推測されます。
しかし、既に王政の復古は非現実的であり、アメリカにあってフランス貴族としての立場を守り続ける人物は他におらず、孤独な存在であったと推測されます。
と結論し、更に
シヌノラがいなければ独りぼっちであるという発言がそのような意味から発せられたのであれば、おそらくタタンダールの立場を共有する人間は(シヌノラを除けば)、既に誰も残っていないのでしょう。
と述べました。
ここまでの話は正しいと仮定して、その先に進んでみましょう。
タタンダールと共有可能な立場とは何か? §
シヌノラは、タタンダールが陥る孤独を回避可能な唯一な人物であるとされます。
この意味は、単純に「心底惚れた女だから」という解釈もあり得ますが、38歳にもなってそれだけの理由でここまではやるまい……と考え、もっと深い理由があるとしましょう。
では、タタンダールが孤独にならずに済む立場とは何でしょう?
言い換えれば、タタンダールと共有可能な立場です。
最もシンプルな答は、シヌノラもタタンダールと同じく貴族としての正当性をアピールするために、フランス貴族の娘として育てられたというものです。
つまり、シヌノラもタタンダールと同じように亡命貴族第1世代によって厳しく教育された亡命貴族第3世代の貴族の娘ということです。
もっと言えば、正当なるフランス貴族タタンダール男爵の横にいるべき、理想的な貴族の夫人となるべく用意された娘である……という見方も可能でしょう。
アメリカの亡命貴族コミュニティそのものが、タタンダールとシヌノラは結婚するものとして計画的に二人を育成していたということも考えられます。
タタンダールは未来の妻としてシヌノラと性的な関係を持ったものの、シヌノラはもはや非現実的なフランス貴族の立場を放棄し、組織のエージェントとなって西部に去ってしまいます。
しかし、シヌノラを諦めきれなかったタタンダールは、シヌノラを追って西部まで来たというわけです。
このようなシナリオを考えると、シヌノラから見たタタンダールは「亭主」ではなく、周囲が勝手に決めた「婚約者」であると同時に、未熟な自分に性の快楽を教え込んだ「愛人」でもあるという状況になります。
この案の致命的な欠陥 §
しかし、この案には致命的な欠陥があります。
それは、タタンダールとシヌノラの年が離れすぎているということです。
シヌノラの年齢は、亡命貴族第3世代というよりも、むしろその1つ下の亡命貴族第4世代と言う方がしっくり来るような印象があります。実際、38歳のタタンダールに20歳前後の娘がいてもおかしくはなく、親子といっても通る年齢差です。
つまり、亡命貴族第1世代は、亡命貴族第4世代のシヌノラをみっちり教育するまで生き延びるのは困難ということです。
残された狭い選択肢 §
実はここまで来ると、ほとんど選択肢が残されていません。
タタンダールの立場は亡命貴族第1世代によって作り出されたものですが、シヌノラに同じ立場を作るには寿命が間に合いません。
それにも関わらず、シヌノラがタタンダールの立場を完全に理解し、共有可能だとすれば、シヌノラはそれをタタンダールから学ぶしか無いのです。それも、日常生活のレベルで長期間密着したリアリティを持って、シヌノラはタタンダールを理解するしかありません。彼の立場は、もはや理屈で理解できるレベルではないのです。
そこまでタタンダールに密着した立場は、もはや家族しかあり得ません。
シヌノラがタタンダールの妻であるという可能性を否定するなら、残った選択肢は1つしかありません。
つまり、シヌノラはタタンダールの娘と解釈するしかあり得ません。
父娘説を補強する状況証拠 §
タタンダールは繰り返し「帰る」という言葉を使います。
手紙では「私の愛するシヌノラを帰していただきにおじゃまする」と書き、シヌノラの拒絶に遭遇した後には「シヌノラも私の所へは帰らないと言う」と言います。
このような、「連れて帰る」という表現は、父親が娘に対して使う表現としては極めて自然です。
更に、タタンダールが全裸のシヌノラを杭に縛っている状況にも着目しましょう。このシーンは、ガンフロンティアという作品全体では何ら珍しいものではありません。シヌノラが縛られて犯される状況は、何回もあるのです。
しかし、タタンダールはフランスあるいはアメリカ東海岸の常識で行動する人間であって、西部の常識で行動はしていません。裸のまま縛って自由を奪うというのは、(ガンフロンティアの)西部ではよくあることでも、アメリカ東海岸の常識ではあり得ないことでしょう。
そこで、強いてそのような状況があり得そうなケースを考えると、「子供に対するお仕置き」という状況が思いつきます。シヌノラがタタンダールの娘であり、あくまで自分の子供に対するお仕置きという意図によって行ったとすれば、タタンダールの行動は常識の範疇に収まるかもしれません。(成熟した女性となった娘を裸にして縛ることが常識の範疇に収まるか否かは別として)
父娘近親相姦説の優れたポイント §
もし、父娘説が正しいとすれば、二人は近親相姦の関係を持っていたことになります。つまり、シヌノラは実の父親によって性の快楽を教え込まれたことになります。最初のフェラチオは未熟で下手だったのでしょうが、おそらくそれはタタンダールに対して行われたものです。フェラチオを教えたということは、おそらくあらゆる行為をタタンダールはシヌノラに教え込んだのでしょう。性に熟達したシヌノラという女性は、実の父親によって作り出されたと見て良いでしょう。
さて、このようなアイデアは、1つの決定的な長所を持ちます。
それは、シヌノラの「性」と「愛」が見事なまでに分離して連動しない性格の形成理由を説明できる点です。
娘は父からどれほど快楽を与えられようと、父とは結婚できません。つまり、男と快楽の関係を持つことは、結婚を暗に想定した「恋愛」とは完全に分離されます。その結果として、愛する男性がいても、他の男と快楽の関係を持つことに矛盾が生じなくなります。
父娘近親相姦説を補強する状況証拠 §
以下の台詞は、実はよく考えると謎と言えます。
トチロー「これは亭主かい シヌノラ」
シヌノラ「ううん 男女関係といってもいろいろあるわ 聞かないで」
既にトチロー達と親密な関係になり、他の男達に犯される状況を見られたこともあるシヌノラが、今更他の男との肉体関係を曖昧にすらしないのは奇異に感じられます。
婚約者や愛人の関係、あるい単に初めての男……といった関係なら、「聞かないで」とまで明確に拒絶せず、もっと曖昧にニュアンスを匂わせるような言葉を言うことも可能だったはずです。
しかし、実際は「聞かないで」という明瞭な質問の拒絶です。
これほど明瞭な拒絶は、シヌノラとタタンダールの関係が、単なる男女関係ではなく、近親相関関係だとすればすっきりと理解できます。さすがに、近親相関ならそれは言えません。
また「男女関係といってもいろいろあるわ」と言わねばならない理由もはっきりと見えてきます。つまり、常識的に考えられる男女関係の他にも関係はあるというニュアンスが込められていると解釈できるわけです。
フェラチオの多い理由 §
シヌノラは性的な関係の中で、フェラチオを行うケースが特に多いと言えます。
その理由として、近親相姦という状況を想定することができるかもしれません。つまり、父娘による妊娠を回避するために、フェラチオプレイの比率が高かったことから、その後もシヌノラはフェラチオを行う頻度が高いという仮説です。
シヌノラに会いに来たタタンダールがまずフェラチオを要求したことも、状況証拠となります。
父娘再会の機微 §
シヌノラはタタンダールを嫌ってはいません。
しかし、ニューヨークに戻ることは頑として拒否します。
これが父娘関係の感情の機微というものでしょう。
単なる男女関係なら、こういう微妙なものはでないような気がします。
もし、タタンダールよりも先に手紙が到着していて、シヌノラがタタンダール訪問の意図を知っていた場合、喜んですぐにフェラチオをしていなかったかもしれません。
結論 §
シヌノラは、亡命貴族第3世代のタタンダールの娘であり、亡命貴族第4世代に分類できます。しかし、亡命貴族第4世代という概念に事実上意味はなく、シヌノラはフランス貴族の血筋であるという宿命を既に背負っていません。
シヌノラは、娘として孤独な亡命貴族第3世代のタタンダールと生活を共にし、その中でタタンダールを唯一理解して慰める立場に立ちます。その過程で、シヌノラはタタンダールより様々な性の快楽を手ほどきされます。
しかし、シヌノラは父を離れ、組織のエージェントとして西部に行きます。
以上の仮説が絶対的に正しいとする証拠はありませんが、1つの選択肢として留保する価値はあるのではないかと考えます。