今更気付くこともありますが。
気付いたことは【シヌノラが本当に快感を感じている表現は限定的である】ということです。
この表現は主に以下の2つです。
- シヌノラの背中がのけぞっている (のけぞり表現)
- シヌノラが顎を上げている (顎表現) (顎そのものが描かれていない場合でも、シヌノラが顎を上げていると見なしうる絵を含む)
以上の2バリエーションが、シヌノラが快楽を楽しんでいる状況でほぼ出現します。
つまり、この2つが松本零士の快楽表現の基本バリエーションと考えられます。
のけぞり表現 §

これが典型的なのけぞり表現の例です。
のけぞり表現の特徴は、顔を描く必要がないことです。
快楽を得ている主体が消失し、人格が意味を持たない世界での快楽の交換を表現しやすくなります。そこではシヌノラというキャラクターが消失し、快楽の主体が他の女性と交換可能になります。
逆に、そのような場にためらわず飛び込むシヌノラというキャラクターのキャラクター性の強調にもなります。
顎表現(顎あり) §

これが典型的な顎表現(顎あり)の例です。
この表現は、身体を描くことなく快楽を表現できるため、身体の一部が水に浸かっていて見えない時や、小さいコマでも有効です。大きなコマの一部に小さく顔を描く場合にも使えます。
コマがより小さくなると、次の顎表現(顎なし)の方が有利になります。
顎表現(顎なし) §

これが典型的な顎表現(顎なし)の例です。
顎を描かずとも顔が上を向いているように描けば快楽表現となります。目鼻口程度で快楽表現ができます。
他のストーリーが進行中に挿入される快楽表現にも似合います。
併用表現 §

これが典型的な併用表現の例です。
のけぞり表現と顎表現が同時に同じコマで使用されています。
快楽表現が二重に使用されているため、強烈な印象を残します。
このコマのおかげで、デラメダムの名前は比較的印象に残りやすいとも言えます。
しかし、確かにインパクトは大きいものの、大きなコマを使わないと描けないため、使用例は少ないのも事実でしょう。
また顔の詳細は描けないため、顔がないのけぞり表現に近いものになってしまいます。
まとめ §
このように表現を分析すると、エロマンガとしては表現のバリエーションが少ないようにも思えます。
それにも関わらずガンフロンティアが退屈しないのは、エロ表現のコマが実はあまり多くなく、僅かなコマの間を空想で埋めていくしかないからでしょう。
つまり、のけぞり表現も顎表現もスタートラインでしかなく、スタートラインが同じでも退屈には直結しないわけです。
逆から言えば §
この認識を肯定するならば、実はのけぞり表現または顎表現が存在するシヌノラのプレイはシヌノラも楽しんでいて、そうではない状況では楽しんでいるわけではない……と考えられます。
すると、以下のプレイはシヌノラが楽しんでいることを示します。
- ガンフロンティアへの出発の市長の護衛
- 酒のない町の崩壊のデラメダム
- イエロークリークに風が吹くの保安官の手先
- 女医サン・ダウナーズのエロクト
- 荒野のサムライサーベルのノグソン
- インディアンパンチのホロ馬車隊の男達
- ウエモンの呪いのポチ (カマドネンの飼い犬)
- マゾ タウンの雪の他の町の男2名
- ワイルド・ウタマロの組織の者達
- ロッキー山脈のガニマタ群の町の最後の男3名とのプレイ
- 他
実際に、イエロークリークに風が吹くの保安官の手先は死んでしまったもののムードはあったと誉めているし、マゾ タウンの雪の他の町の男2名については「殺すことはなかった」「気にしない」と後で言います。
逆に、以下のプレイでシヌノラは楽しんでいないことになります。
- 大砂塵馬肉の歌のムリグソン
- 紳士タタンダールのタタンダール
- ミス イザナミの乱行の組織の男5人
- チカメとクマと女と穴だけの町の案内人(女)
- 他
ムリグソンはシヌノラが手を下していませんが、タタンダールはシヌノラが拒否し、組織の男5人はシヌノラ自身が射殺し、町の案内人(女)から解放されてハーロックとセックスすると男の方が良いと喜びます。
そのことから考えると、以下のことが分かります。
- シヌノラが楽しんだ相手の男を、トチローやハーロックは割と殺している
- シヌノラが楽しめなかった相手はシヌノラ自身で拒絶あるいは射殺する場合がある
つまり、シヌノラはトチローとハーロックさえ死ななければ他人の生死は割と気にしないことになります。言い換えれば、シヌノラにとって、トチローとハーロック以外の男は交換可能な道具でしかないことになります。